15日は出勤で、16日に休みを取れたので一日遅れで靖国に参拝。一日遅れとはいえ、普段より混んでいたかな(私は土日に年6回ペースで参拝している)。遊就館も観覧ペースがちょっと乱れるくらいに混んでいた。遊就館は4ヶ月振りくらいだけど、日露戦争のビデオが替わっていた。以前は軍神を称えた(当時の)唱歌が唄われたり、「東郷ターン」を強調していたりしていたけど。全般的にあっさり目になっていたと思う。
さて、ウチの選挙区に刺客として送り込まれる予定の現役大臣は予定通り15日に参拝してらっしゃったけど、首相はパス。去年は現役大臣が4人参拝したけど、今年は2人。後退といえば後退だけど、選挙戦の最中ということもあるのだろうな、と。
で、その首相が武道館の式典でスピーチした内容がかの悪名高き村山談話を踏襲するものとして、報道された。メディアは都合のいいところを切り張りするのが商売だから(笑)、念のため官邸のサイトで全文を読んでみた。う~ん、「踏襲」というより「修正」、リベラル層からしてみるとむしろ「後退」じゃないのかなぁ。そんなことを考えて各blogを眺めてみると、やっぱりgoriさんがエントリーを書いてらっしゃった。
Irregular Expressionさん
さすがですね。実に明解な文章だ。
もちろんいわゆる保守層からしてみればこのスピーチも「全然手緩い」んだろうけど、村山談話の呪縛はそれほどきついものなんだろうと思う。自社連立の仇花とはいえ、仮にも一国の首相が発した言葉を、「政権が代わったから、あの言葉は無しにします」とはいくわけがない。徐々に修正していくしかあるまい。「政権が代わったから…」なんて言った日には、易姓革命のあるシナ大陸ならともかく、普通の他国からは信頼を一気に失うことになろう。「修正を重ねて、何年もしたら保守層が聞いても違和感のないものになっている」これくらいしかなかろう(実際にはそれすらも無理のような気がするけど)。それほど政府首脳による対外的な発言というのは、重いものでなくてはいけないんじゃないのかな、と。
例えば会社関係だって、前の担当者が平謝りしていた件を、担当者が代わったからといって、新担当者が「前任が謝っていたようですけど、あの件は当社が悪いとは思っていませんから」と伝えたとしたら。それを言われた方の社はもちろん、噂を聞いた他の取引先も「あの会社大丈夫かよ。一担当の言葉って、そんなに軽いものなの?」ってことになるんじゃないのか。もちろん、そうでもしないと会社が潰れるほどのダメージを負うのだったら、話は別だけどね。果たして今回の修正スピーチでも、日本が潰れるほどのモノなのかってこと。
自分の大先輩にあたる堤ツルヨ議員がしたこと(いわゆる戦犯の遺族にも遺族年金を支払うようにし、いわゆる戦犯が靖国に合祀されることの道を開いた)に対し、「私は間違ったことをしたと思っています」と悪びれずに語る辻元清美なんかよりは、「何で先人はこんな発言したんだろう?」と苦慮しながらも修正を加えている首相(あるいは取り巻き官僚)の方が私は支持できますがね。自分と意見が違う先人がやってきたことを「この人がやったのは間違い。私がやることが正しい」で済むんだったら、「戦前の政治家や軍人が100%悪い。私たちが代わって謝罪する」という左勢力とあまり変わらないような気がする(^^;。
もちろん、首相が元々いわゆる自虐史観の持ち主という可能性も否定できないけどね(笑)。でも短絡的に即「売国奴」って貶めるんじゃなく、少なくとも原典にあたってみるくらいはやるべきなのかな、と。
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