2006.04.07

日経の社説が気持ち悪い件

社説1 小学校英語教育を前向きに考えよう(4/7)

小学校で英語を必修科目にすべきかどうか議論が活発になってきた。文部科学相の諮問機関である中央教育審議会の外国語専門部会は先月末、必修化に賛成する報告をまとめた。日本が国際化時代を生き抜いていくために英語教育の充実は避けて通れない。小学校での必修化を前向きに考えるべきである。

小学校の英語教育はすでに約9割の学校で実施されている。平均月1―2回、総合学習の時間などを使い英語で歌ったりゲームをしたり、簡単なあいさつを教えている。専門部会はこれを小学校高学年で週1回程度に授業数を増やし、必修にするよう提言した。

戦後の英語教育は大失敗に終わった。長い間習っても大多数の人には使い物にならないというのが悲しい現状だ。その反省に立てば小学校から英語に親しむ環境を整えることは一つの選択肢となる。

だが、必修化にあたっては様々な課題がある。

第一は国語力との関係である。国際的にも日本の子供たちの国語の読解力の落ち込みが明らかになっている時に英語を持ち込めば、ますます国語力が落ち、思考能力そのものも弱まるとの懸念がある。

確かに国語力の低下は問題である。しかし、英語と国語を対立する概念でとらえる必要はない。専門部会報告が指摘するように、英語教育を広い意味でのコミュニケーション能力を高める教育の一環として位置づけ、国語教育と英語教育を結び付ける工夫は可能だろう。

それに週1時間程度の授業で国語力に支障が出るとも思えない。

教える人材の確保も大きな課題である。英語の音に慣れさせるためには外国人による授業が望ましい。それによって外国人から直接その国の文化や地理について勉強するなど様々な付随効果も期待できよう。

だが全授業を外国人が担当する必要はない。全国約2万3000の小学校に外国人を確保するには膨大な費用がかかる。限られた予算の中でも地域の住民のボランティアの活用など工夫の余地はある。インターネット、ビデオ、CDなどの教材を活用する道もある。

小学校で必修化する場合、成績をつける課目にするかどうかという問題がある。小学校から英語嫌いを増やさないためにも成績をつけない教育でよいだろう。

英語教育の改善は小学校での必修化で終わる話ではない。使える英語をめざし、中学校、高校での見直しも進めなければならない。

気持ちの悪い文章だね(笑)。

戦後の英語教育は大失敗らしいが、どこがどう大失敗なのかがよくわからない。文脈から察するに、ネイティブスピーカーと会話できれば成功のようだが… そうなの? 個人的には英語で論文を読んだり書いたりできる人材ができるだけ多く育っていれば、成功と考えていいと思うんだけどね。どれだけ会話で議論できようと、政治でもビジネスでも最終的には文書を取り交わすわけなんだから、そこを重視するのは決して悪いことじゃないと思うんだけど。

「庶民がマスターしたいのは、海外旅行に行ったときに必要になる、ちょっとした会話力だよ」という市井の意見はわかるが、そんなものは駅前留学すればすむ話だよ。どうして学校教育でてめぇらの海外旅行のサポートをしないといけないんだよ、ってことだ。そもそもそんなことを言ってしまっては、微分積分も、力学も、地質学も、古文も、遺伝学も、歴史も学校で教えるには不適格だ。

そもそも国語に対して「日本語は話せればいいんだ。学校教育では会話を中心に教え、文章読解や作文などは必要ない」なんて主張する輩はいるまい。母語は家庭でも会話を教えることができるが、英会話はそうもいかないから学校でやって欲しいというのはお門違いなんじゃないか?

私が以前勤務していた会社の社長は、大学を中退して英国に放蕩旅行に出かけ長期滞在し、現地の人と結婚して、2年くらいで離婚して… という、結構凄い青年期を歩んできた人だったんだけど、さすがに英会話はまったく不自由していなくて、身振り手振りのできない電話でもまったく問題なし。正直な話、発音は我々とそんなに変わらないくらい。でも言葉がポンポンと出てくる。しかも日常会話じゃなくて、ビジネスの話を。それくらい英会話に堪能な方だったのに、いざビジネスレターということになると弱くて、たいして英語の得意じゃない私に単語のスペルや、構文のチェックを頼みにくることがしばしば。それがまた、時制がおかしかったり、中学校で習うような単語のスペルミスがあったりで、なかなか興味深いものだったことを覚えている。それくらい、会話と読み書きというものは違うということだ。

だから「(例えば他国と比べて)喋れる人間が少ないから、戦後の英語教育は間違っていた」というのはおかしい。「(例えば他国と比べて)論文を書けるくらいの英語力を持った人間が少ないから、戦後の英語教育は間違っていた」というのならば、ちょっとは説得力を持つ。この社説から感じ取れるのは前者だから、ちょっと気持ち悪いw

日本の学校での英語教育は中学校からはじまる。ある研究では、母語を確定するタイミングというのは12歳くらいなんだそうだ。だから多くの日本人は、母語として日本語が脳にインプットされてから英語を学ぶので、ネイティブユーザーはまず意識しないであろう文法を中心に、暗唱、読解、作文をやらされる。ある意味、理にかなっているそうだ。それを今度は小学校から必修にしようということだから、母語として日本語がインプットされるか否かのタイミングで学ぶことになる。だから文法中心ではなく、ネイティブスピーカーの発音を耳にして、オーラル中心に学ぶという方針も、理にかなっているわけだ。

ただし問題は、母語が日本語と確定していないタイミングで、週に1回とはいえ、英語を学ばせてもいいのか、ということにあるんだそうだ。英語教育に決して明るくないであろう社説子が「週1時間程度の授業で国語力に支障が出るとも思えない」と簡単に推測していいものかどうか。


「こういう研究があり、対立するこういう研究もある。当欄では前者に賛同するものである」くらいのことを社説ではやってもらいたいものだが、どこの新聞もそんな社説は載ってないね。「俺は社説子だ。お前らはみんな頭悪いんだから、俺の意見を聞きやがれ」みたいな文章ばかり。うんざり。

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2006.01.23

堀江氏逮捕

堀江氏の肩を持つわけではないけど、ちょっと気になる記述を見つけた。

ライブドアの堀江社長ら逮捕 証取法違反で東京地検(産経)から抜粋

六本木ヒルズでは、買い物に来た東京都国立市の会社員女性(39)が「企業の買収を繰り返し、苦労しないで簡単に金をもうけてきたので、しっぺ返しが来たのだろう。社会に対する警告のように思える」と分析。

新潟県燕市から夫婦で旅行に来た公務員男性(51)は「プロ野球の球団を持たなくてよかった。堀江さんにはそれなりの知識もあったはずなのに、年配のいさめ役がいなかったのがまずかったのでは」。千葉県の無職男性(66)は「ああいうやり方はだめだ。金を稼ぐには汗水たらさなきゃ」と不快感をあらわにした。

一方、堀江社長の取り調べが行われた東京・霞が関の東京地検周辺には、多数の報道陣が詰め掛け、検察関係の車が出入りするたびに、カメラのフラッシュがたかれ、テレビのスポットライトが浴びせられた。(共同)

(01/23 20:34)

4人の容疑者たちが「楽して金を儲けた」? 「汗水たらしていない」? 自転車操業的に企業買収することが、なぜ「楽して」「汗水たらさず」という発想になるのか? ライブドアの手法は、泳ぐのを止めると死んでしまうマグロと同じで、企業買収をし続けないといけなかった。そんな中で、どの企業を買収しようか、資金が足りるのか、足りなければどこから調達するか、本当にこの企業を買収すれば株価を上げることが出来るのか、などなどを真剣に考えていたはずだ。買収には迅速性が不可欠だから、会議ではなくメールでも決定することがしばしばだったという。サイコロのように、切った張った、丁か半かの世界じゃないんだ。役員の頭脳を働かせてターゲットを決めたに違いあるまい。

今回は別に企業買収自体が悪いと言われたわけではない。株価を操作するようなことをしたから、粉飾決算しているっぽいから逮捕されたわけだ。だから「(風説を流布して)楽に(株価を操作して)儲けた」とか、「(売り上げが芳しくないのなら汗水たらしてリカバーに励むべきなのに、粉飾決算などという安易な方法を採ったから)汗水たらしていない」という批判ならそのとおりだと思うけど、この共同の記事を読む限りは、企業買収によるマネーゲーム自体を批判しているように受け取れる。

マネーゲーム自体は悪じゃない。前にも書いたが、我々が預金している金だって、銀行がマネーゲームをしているからこそ、(今は低利率とはいえ)利息がつくわけだ。ましてや投資ファンドで資金を運用している人は間接的にマネーゲームに参加しているわけだ。

世の中には、普通の人が想像も出来ないような思考作業による仕事を生業にしている人が大勢いるのだ。個人トレーダー規模だったらともかく、十億単位で勝ち続けるためにはそれなりの頭脳と決断力が必要だ。決して楽しているわけでも、汗水たらしていないわけでもない。


<追記>

各局の朝のニュースを見ても、「企業買収自体は問題ではない」というスタンス。当然なんだけど。

自転車操業的に企業買収を続ける中で資金調達に無理が生じ、粉飾決算と株式分割によって株価を吊り上げたというところだと思うが、ライブドアに基幹となる業務があればまた流れは違っていたんだろうな。企業価値を高める手段を株価に全面的に頼ってしまったのが敗因かな。傘下の会社で株価が下がらなかったのがセシールだけってのが顕著だよね。

そういう意味では確かに「もっと努力できただろ?」「汗水流す余地はあっただろ?」と思うけどね。引用記事のインタビューがあまりにも恣意的だったので、エントリーを起こした次第。

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2006.01.05

「社会主義」の対義語

知人に「趣味関係はmixiに書いているし、時事ネタももう書くの飽きたからblog閉めようか知らん」と伝えたら、「最後がヅラネタかよ!」と一斉に非難されたので、細々と続けることにします。


今日のCX「めざましテレビ」で、まっつーがNaをやっている、世界各国で頑張っている日本人に郷里からの家族の手紙を届けるというコーナー(だったと思う)。今日はハンガリー。「ヨーロッパではじめて地下鉄が通ったのはハンガリーの首都ブダペストである」「ドナウ川をはさんだブダ地区とペスト地区が合わさってブダペストとなった」など、お隣の国を卒論で書いた私には既知の情報ばかりで、なんだこりゃ状態の中、ようやく目を引く情報が…

ハンガリーでは「子供鉄道」という国有鉄道がある。日本でいうところの小学生を対象にして、希望者を募って試験をし、合格すれば子供鉄道で勤務できる。勤務できるのは運転士以外の全職種。逆に書けば、運転士以外は全員子供がやっている。取材に訪れた駅も、駅長が11歳などなど。ポイントの切り替えも車掌も子供が勤めている。給料は出ないそうだけど、卒業証書がもらえるんだとか。名誉職… なのかなぁ?

で、気になったのは表記。私は「子供鉄道」って書いたけど、実際には「子ども鉄道」と表記されていた。もちろんハンガリーに漢字やひらがなはないから、マジャール語を訳して、それをかな漢字表記したんだろう。よって、CXの内規で「こども」は「子供」ではなく「子ども」と表記するようになっているんだろう。この時点で頭が痛くなってきた(「子供」と「子ども」の表記に関してはこちらを参照してください)。

この子供鉄道は、ハンガリーが社会主義時代に「子供に社会を経験させるため」という考えから実現し、資本主義化した現在でも運行されているのだとか。その部分のまっつーのNaが凄かった。「社会主義時代に、子供に社会を経験させるために運行されたものですが、民主主義となった現在も…」… あの、もしもし? 社会主義の対義語は民主主義ですか? ダメだよ、こんな原稿をまっつーに読ませちゃ。

どうにかならんもんかねぇ…

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2005.08.30

トカゲの尻尾切り… とは違うか

朝日記者が虚偽の取材メモ 選挙記事に誤り、懲戒解雇

「虚偽の取材メモ」はダメだけど、「(メモするなと釘を刺された取材の)自分に都合のいいところを切り貼りした取材メモ」はセーフってことでいいのかね(笑)?

「朝日は虚偽の報道は許しません」
「内部の人間を処分することも厭いません」
逆に言えば、処分されていない記者が書いたことは真実です

とアピールしたいのかな? もう何をやっても無駄だけどね…

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2005.08.17

靖国参拝にまつわるエトセトラ

15日は出勤で、16日に休みを取れたので一日遅れで靖国に参拝。一日遅れとはいえ、普段より混んでいたかな(私は土日に年6回ペースで参拝している)。遊就館も観覧ペースがちょっと乱れるくらいに混んでいた。遊就館は4ヶ月振りくらいだけど、日露戦争のビデオが替わっていた。以前は軍神を称えた(当時の)唱歌が唄われたり、「東郷ターン」を強調していたりしていたけど。全般的にあっさり目になっていたと思う。

さて、ウチの選挙区に刺客として送り込まれる予定の現役大臣は予定通り15日に参拝してらっしゃったけど、首相はパス。去年は現役大臣が4人参拝したけど、今年は2人。後退といえば後退だけど、選挙戦の最中ということもあるのだろうな、と。

で、その首相が武道館の式典でスピーチした内容がかの悪名高き村山談話を踏襲するものとして、報道された。メディアは都合のいいところを切り張りするのが商売だから(笑)、念のため官邸のサイトで全文を読んでみた。う~ん、「踏襲」というより「修正」、リベラル層からしてみるとむしろ「後退」じゃないのかなぁ。そんなことを考えて各blogを眺めてみると、やっぱりgoriさんがエントリーを書いてらっしゃった。

Irregular Expressionさん

さすがですね。実に明解な文章だ。

もちろんいわゆる保守層からしてみればこのスピーチも「全然手緩い」んだろうけど、村山談話の呪縛はそれほどきついものなんだろうと思う。自社連立の仇花とはいえ、仮にも一国の首相が発した言葉を、「政権が代わったから、あの言葉は無しにします」とはいくわけがない。徐々に修正していくしかあるまい。「政権が代わったから…」なんて言った日には、易姓革命のあるシナ大陸ならともかく、普通の他国からは信頼を一気に失うことになろう。「修正を重ねて、何年もしたら保守層が聞いても違和感のないものになっている」これくらいしかなかろう(実際にはそれすらも無理のような気がするけど)。それほど政府首脳による対外的な発言というのは、重いものでなくてはいけないんじゃないのかな、と。

例えば会社関係だって、前の担当者が平謝りしていた件を、担当者が代わったからといって、新担当者が「前任が謝っていたようですけど、あの件は当社が悪いとは思っていませんから」と伝えたとしたら。それを言われた方の社はもちろん、噂を聞いた他の取引先も「あの会社大丈夫かよ。一担当の言葉って、そんなに軽いものなの?」ってことになるんじゃないのか。もちろん、そうでもしないと会社が潰れるほどのダメージを負うのだったら、話は別だけどね。果たして今回の修正スピーチでも、日本が潰れるほどのモノなのかってこと。

自分の大先輩にあたる堤ツルヨ議員がしたこと(いわゆる戦犯の遺族にも遺族年金を支払うようにし、いわゆる戦犯が靖国に合祀されることの道を開いた)に対し、「私は間違ったことをしたと思っています」と悪びれずに語る辻元清美なんかよりは、「何で先人はこんな発言したんだろう?」と苦慮しながらも修正を加えている首相(あるいは取り巻き官僚)の方が私は支持できますがね。自分と意見が違う先人がやってきたことを「この人がやったのは間違い。私がやることが正しい」で済むんだったら、「戦前の政治家や軍人が100%悪い。私たちが代わって謝罪する」という左勢力とあまり変わらないような気がする(^^;。

もちろん、首相が元々いわゆる自虐史観の持ち主という可能性も否定できないけどね(笑)。でも短絡的に即「売国奴」って貶めるんじゃなく、少なくとも原典にあたってみるくらいはやるべきなのかな、と。

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2005.07.27

皇位継承における各紙の見出し

保守系blogでもあまり扱わない話題だけど…

小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が26日の会合で、皇位継承に関する論点整理をまとめた。しつこく書くけど「論点整理をまとめた」だけ。

さて、各紙の見出しをみてみる。
読売:「男系男子の維持、女性天皇の容認…皇位継承両論併記に」
産経:「皇室典範会議 二者択一で判断待つ 論点整理、男系男子か女帝容認か」
朝日:「女性・女系天皇容認など提示 皇室典範有識者会議」
毎日:「皇室典範会議:論点整理を決定 女性天皇案など提示」
日経:「皇位継承資格拡大で「女性天皇」など検討・有識者会議」

今までの会合で出た論点整理して、「『女性天皇や女系天皇を認めてもいいではないか。その際に継承順位はこうすべきだ』という意見もあるが、こういう理由で反対論もある」「『男系男子による継承を続けるために、こうしようではないか』という意見もあるが、こういう理由で反対論もある」という具合にまとめただけなんだよね。そのまとめたものを発表したから、各紙が報道したわけで、実際に有識者達がこのまとめを元に論議していくのはこれからだし、何らかの道筋がこの会議で出されたとしても、法的に有効になることはないんだけどね。ちょっと前に福田前官房長官の私的諮問機関「追悼懇」が「無宗教の国立追悼施設をつくるべし」なんて結論を出したけど、あれと同じようになるかもしれないわけでね。

だからポイントは「有識者会議(法的に拘束力を持たない)が」「女性天皇・女系天皇を認めることと、男系男子による継承の堅持との両論を」「論点整理してまとめた」という3点なんだよね。それに照らし合わせると…

読売:主語がない。まるで皇室典範がすぐにでも書き換えられるような印象を与える。
産経:「皇室典範会議」では法的に拘束力を持ちそうな印象を与える。
朝日:「女性・女系天皇容認など」という記述は卑怯。「有識者は女性・女系天皇を容認している」という印象を与える。
毎日:「女性天皇案など提示」という記述は卑怯。しかも「「皇室典範会議」という法的拘束力を持っていそうな集団が女性天皇を容認している」という印象を与えている。朝日より性質が悪い。
日経:「「女性天皇」など検討」とご丁寧に括弧書きまでして、その後ろの「など」を目立たなくしている。朝日より性質が悪い。卑怯。姑息。

産経の見出しが「皇室典範会議」を「皇室典範有識者会議」になっていたら、見出しとして完璧だと思うのだが、あからさまな印象操作を仕掛けている朝日・毎日・日経よりはるかにましだし、読売は印象操作なのか見出しをつける人が無知なのかよくわからない状態なので、産経の一人勝ちだと思う。

で、見出しだけで優劣をつけるのもアレなんで、本文も読み比べてみた。どれもよくまとまっているのだが、意外にも朝日が一番読者に親切なのではないかと感じた。特に「母方だけに天皇家の血筋をひく女系天皇」という具合に、「女系天皇とは何か?」を説明している。ちなみに読売は「女性天皇とその子孫(女系天皇)」というように、女系天皇の範囲を狭めて説明している。私が書くまでもなく、内親王が皇族以外の男性と結婚され、そのお子様が天皇に即位されることがあったとしても、それは「女系天皇」に他ならない。朝日の説明の方が正確だ。そして、産経・毎日・日経にいたっては、読者が「女系天皇とは何か」を把握しているがごとく、記事を書いている。

<追記>
よく考えると朝日の説明も片手落ちだな。これだと「内親王と皇族外の男性が結婚され、男子が生まれた。この男子の子が天皇になった」という場合、「男系」になってしまう。「男系」とは「父親を辿っていくと天皇に当たる」ということなので、上記の例はもちろん「女系」になるんだよね。

毎日は本文冒頭で「「女性天皇」の是非などを検討している小泉純一郎首相の私的諮問機関…」と、本会議のメインの話題が「女性天皇の是非」だとミスリードしているし、「女系天皇」については「論点整理の骨子」で触れているだけ。記者自身が女性天皇と女系天皇の違いを理解しているのか、ちょっと疑問。

日経は本文も姑息な手段を使っている。「検討対象に「女性・女系天皇の容認」と「旧皇族とその子孫による宮家新設」を挙げた」とあるが、官邸が提供している本会議の「論点の整理」には「宮家の新設」なんて言葉は出てこない。該当部分を抜粋すると「(前略)昭和22年に皇族の身分を離れた旧皇族やその子孫のうちの男系男子を対象として、現在の皇族との養子縁組や婚姻、又は単純な復帰・編入といった方法により、皇族とする方策が主張されている」となっている。朝日の「47年に皇室を離れた旧皇族を復帰させたり、現皇族と養子縁組したりして皇族に戻す」という表現は、この「論点の整理」をまとめたんだなと思えるが、「宮家の新設」となると、バイアスがかかっているとしか思えない。読者に「俺達の血税がまた余計に使われるのか!」と思わせたいんだろうね。養子縁組すれば、当然宮家は増えないんだけど、これについては本文最後にチラッと触れているだけ。主要5紙では断然最下位どころか、捏造の一歩手前という感じだ。

どうしてこんな変な記事になったのかと、日経本紙を読んでわかった。日経は宮内庁幹部の話として「女性天皇容認となれば、内親王が結婚する際に宮家を創設して皇族にとどまるのは論理的必然」と書いている。どうもこの幹部の「新宮家創設」発言に引きずられて、本会議のまとめも「旧皇族による宮家新設」と書いてしまったのでは? しかも本紙では、見出しにまで「宮家新設」とでかでかと書いている。ここまで恣意的だと、有害だ。

こんな新聞を、日本企業の相当数が購読しているというのは、かなり問題のような気がする。ビジネスマンが日経を記事の方まで読む場合、そのほとんどは経済記事だろう。政治記事なんて、せいぜい見出しを眺めるくらいだ。そこに一面に堂々と「宮家新設」だの「女性天皇容認」だのと見出しを書いているんだからね。日経には、経済に絡まない記事を書いてもらいたくないよ。いや、マジで。

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2005.07.26

期待を裏切らない朝日新聞

「NHK番組改変問題、改めて報告します」からはじまる朝日の「検証記事」だけど、いやもう期待を裏切らないというか、期待以上というか…

昨日の昼休み中に打った文章をアップするのを忘れているうちに、多くの保守系bloggerさんたちが名文を書いてくださっているので、以下に紹介します。

IrregularExpression(goriさん):朝日新聞が虚偽報道を認めました、でも反省の色無し
ぼやきくっくり(くっくりさん):朝日新聞の「NHK番組改変問題検証記事」を検証しました

お二人をはじめ、多くのbloggerさんが書かれているように、朝日が「中川氏がNHK関係者と当該番組放送前にあっていたことは証明できなかった」「安倍氏らがNHK関係者を呼んだ証拠は見つからなかった」と認めた時点で、この話はおしまいなんですがね。これが刑事裁判ならば

しかし、この問題は刑事裁判でも(今のところ)民事裁判でも争われていないから、延々と続く言い訳も無駄ではないわけです。そう、「印象操作」ってヤツですね。「証拠は見つかっていないけど、最初の取材での本人たちの証言は大筋で食い違いがなく、真に迫っていた。だから朝日は最初の記事は間違っていないと思っている」ってのが、主張だと思うんだけど、確かにこれだけの文章量で主張されては、読む人(朝日を購読している人たち)が「なるほど、朝日のいうとおりだわぃ」となっても不思議じゃない。読者は裁判官や陪審員みたく「白黒つけましょう」という人たちばかりじゃないんだからね。

ただね、これって、普段朝日が糾弾している「取調べ時の自白のみを証拠とする刑事事件」と同じ構図なんだよね。警察や検察という国家権力はやってはいけないが、朝日だったらやってもいいということでしょうかね? だとしたら典型的なマルキストですよ。って、今さら指摘するまでもないか(笑)。で、よく考えてみると、今回の騒動の発端となった、バウネットの「民衆裁判」と同じ構図ですね、これ。朝日の熱心な読者はスタンディングオベーションして泣いたりしているんでしょう、きっと(笑)。

なお印象操作に関して、Web版と実際の紙面とを見比べて、秀逸なエントリーをgoriさんが書かれていますので、以下に紹介します。紙媒体を生業にしている者にとっては、耳に痛い部分もあるんですが…

IrregularExpression(goriさん):デジタルディバイドを欺く、朝日新聞の卑劣な印象操作

さて、bloggerさんと同様、喧嘩上手のNHKも仕事が早い。朝日の購読者は保守系blogは読まないでしょうが(^^;、なんとなくNHKニュースは見ている印象がありますから、この素早いレスポンスはGJですね。次のNHKニュースでは「印象操作」という語句を使ってもらいたいものです。


最後に、ネタを提供してくれた朝日新聞に感謝(笑)。

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2005.07.01

「春秋」が夏を語る

日経新聞:春秋

第二次世界大戦末期、ルーズベルト米大統領死去の報に接した鈴木貫太郎首相とヒトラーの反応は対照的だった(五百旗頭真「日米戦争と戦後日本」)。鈴木は同盟通信の海外向け英語放送を通じ「深甚なる弔意」を米国民に表明した。

▼鈴木は「大統領の逝去がアメリカ国民にとって非常なる損失であることが理解できる」とも述べた。米国主要紙がこれを報道し、米国に亡命中だったトーマス・マンは鈴木に騎士道精神を見た。一方、ヒトラーは「運命が史上最大の戦争犯罪人を地上から取り除いた」と声明を発表した。呪(のろ)いのような文章だった。

▼ふたりの人間性の違いだけでもないだろう。一神教と多神教の違いと考える外交官もいる(「月刊草思」7月号・上野景文「私の文明地図」)。最後の将軍徳川慶喜を明治政府は公爵に遇した。最後の国王たちの運命は違った。ブルボン王朝ルイ16世、ロマノフ王朝ニコライ二世はともに処刑により断罪された。

▼中国外交の原則論に上野氏は20年前の日米経済摩擦の時に見せた米国のいら立ちを連想する。いずれも「一つの原理」による思考法ではないのか、と。文明論の違いであれば根は深い。相互理解のためには一層の意思疎通が要る。きょうから7月。戦後60年の夏である。歴史や文明を深く考える季節にしたい。

すいません、浅学な私には最後の段落とそれ以外の箇所の結びつきが全くわかりません。さすが日経クオリティ。

「日本と中国は文明が違うから、相互に理解することはなかなか大変なことだ」というのなら理解できる。しかし「相互理解のためには一層の意思疎通が要る」とは何ぞや? 真逆で「意思疎通のためには相互理解が必要」だと思うが? 意思疎通できているのなら相互理解できているはずじゃないのか?

日本人は「中国人には中国人の考え方がある」ということを認めること。そして中国人は「日本人には日本人の考え方がある」ということを認めること。お互いの認識をわかりあう必要はなく、「向こうはこっちと違う考えなんだ…」ということを理解すればいい。話はそこからはじまるわけだと思うがね。「オタクはこう考えているようだけど、そんなこと俺には理解できない」「いや、オタクの考え方こそ理解できない」と議論できるレベルにすら達していないのが、日中の歴史認識でしょ。意思疎通しようにも、お互いの立場を理解していないのだから、話し合いにすらならないわけでね。

出だしはかなりいい感じで進んでいるのに、最後の段落でぶち壊しだな、このコラム。経済専門紙らしく「日中の経済を冷やさないためにも、日本が一方的に中国の歴史認識を理解すべきだ」とはっきり書けばいいのに。そうすれば、多くの日本人は「潔い」と感じるよ。賛同するか否かは別問題だけど(笑)。

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2005.06.29

「日王」と「天皇」と「天皇陛下」

聯合ニュース

【ソウル28日聯合】日本の天皇が28日にサイパンにある韓国人戦没者慰霊塔の「太平洋韓国人犠牲者の追悼平和塔」を訪問した事実が伝えられたことで、サイパンで暮らす韓国人会をはじめとする関連団体からは「これを贖罪(しょくざい)の契機とすべき」などの声が高まっている。


天皇は同日午前10時から約4分間平和塔の前に立ち、頭を下げて黙とうを捧げたという。サイパン韓国人会の金スンベク会長は聯合ニュースの電話インタビューに対し、「日本の天皇の平和塔訪問は突然の出来事だったため、その場に韓国人は1人もいなかった」としながらも、「韓国人会の要求を受け入れたようだ。今回の訪問を契機に、アジア地域の犠牲者のため、反省してくれることを望む」と述べた。


1981年にこの平和塔を建立し、慰霊祭を毎年行っている海外犠牲同胞追悼事業会の李竜沢(イ・ヨンテク)会長は「『天皇がサイパンを慰霊訪問する意志がある』との話を聞き、先月末に駐韓日本大使館とサイパン現地の総領事館に平和塔を訪問し、参拝してくれることを要請した。小さなことだが、(天皇が)訪問したこと自体に意味がある」と話している。


平和塔は、天皇が終戦60周年を記念して今回訪れた「バンザイ・クリフ」(日本軍兵士や民間人らが投身したことで知られる)から直線距離で約200メートルの地点にある。

太字部分ですが、中共と韓国と北朝鮮が「アジア」と表明する時は、ほとんどの場合この三国のみを指し示すので、注意が必要ですな(笑)。同時に、自民党や民主党の中にもこの三国を「アジア」と称するお偉いさんがいるので、注意が必要。あ、社民・共産・公明は言わずもがななので、わざわざ書きません。

しかしまぁ「反省してくれることを望む」ったって、陛下はすでに謝罪しているんだけどね… 謝罪表明と反省は別物だと言われればそれまでなんだけどさ。具体的にどういう行為をしたら反省していると理解してくれるのか、示してくれないものか。どうせ「反省していない」といい続ける作戦なんだろうから、具体的に提示できるわけなかろうが。

あ、でも、この聯合ニュースと中央日報は「天皇」表記なんだね。もちろん本国では「日王」表記なんだろうが。さて、それに対して…

東亜日報

明仁日王夫妻が第2次世界大戦当時、日本の植民地であり、連合軍との激戦の末に7万5000人余りの軍人と民間人が死亡した米国領サイパン島を27日訪問した。


旧植民地を日王が終戦後、慰霊目的に訪問したのは初めてのことだ。日王夫妻は同日の夕方、現地で日本人遺族会、戦友会会員などと懇談会を行った。


明仁日王夫妻はサイパン訪問2日目の28日、日本政府が立てた「中部太平洋戦没者碑」と日本人軍人・民間人が自殺した絶壁などを訪問して犠牲者を追慕する。また、現地住民の犠牲者933人の名前が刻まれた「マリアナ記念碑」と、米軍のための「第2次世界大戦慰霊碑」にも献花する計画だ。


これと関連して、サイパン現地住民たちは明仁日王夫妻の慰霊碑への献花が、双方の傷をある程度癒してくれるものと期待している。日本人観光客が急増して日本との貿易も拡大しているなか、60年前の痛みを「過去史」レベルで敢えて暴き出す必要はないという反応だ


しかし、サイパンで強制労働に苦しんだり、戦乱に巻き込まれて死亡した韓国人犠牲者のための「サイパン韓国人慰霊碑」は訪問対象から除外され、「国内向けの行事」という限界を露呈した。韓国人慰霊碑は日本政府が自国の死亡者のために立てた戦没者碑から徒歩で5分のところにある。


このような日程から分かるように、日王の今度の慰霊巡礼は「日本王室(特に昭和日王)の戦争責任」に関して黙ったまま、戦没者追慕だけの形式を取っている。


終戦後、昭和日王は慰霊目的の海外激戦地への訪問ができなかった。しかし1989年王位を受け継いだ明仁日王は、1992年中国を訪問して過去史に遺憾を示して以来、硫黄島、沖繩などの激戦地を訪問して戦没者を追慕してきた。


結局、自分の責任に対しては口を閉ざしたまま、経済力を前面に過去の縁故地に影響力の拡大を狙う今度の慰霊巡礼は周辺国を慰めることはもちろん、日本国内の軍国主義(特に最近の「戦犯無罪論」)を鎮めることもできないだけだ。


日本は1914年第1次世界大戦勃発後、サイパンを占領して殖民統治をした。サトウキビ栽培などのために2万人余りの日本人を移住させており、韓国人労働者1000人も労役に動員された。1944年6月の連合軍上陸後、約1ヵ月間にわたって展開されたの熾烈な戦闘で、日本軍4万3000人余りと米軍1万5000人余り、そして民間人など7万5000人余りが死亡した。

東亜日報では、直訳して「日王」表記(笑)。まぁ翻訳の精度の問題で、聯合ニュースや中央日報は「日本では日王のことを天皇というから、翻訳するときは気をつけないとな」という違いだけだろう。Web版編集者や翻訳者に、「日王」と「天皇」の呼称の違いから生じる起こりうべき問題なんかを配慮するだけの知識はないはず。単にシスティマティックに「日王」をそのまま漢字にするか「天皇」と変換するかというだけだよね、これって。

ただ、そうとはいっても、日本人として陛下を「日王」と書かれるとやはり違和感があるし、軽くムッとする。東亜日報が日本語翻訳版を作成しているのは、多くはハングル文字を読めない在日同胞のためだとは思うが、日本人に読ませたいという意図もあるはずなのだが、これじゃあ逆効果じゃないのか?

内容もちょっとアレですな。

「日本人観光客が急増して日本との貿易も拡大しているなか、60年前の痛みを「過去史」レベルで敢えて暴き出す必要はないという反応だ」とあるが、日本人観光客に統治時代の日本の所業を是々非々で伝えてくれた現地人のガイドさんなどもいらっしゃったわけでね。こういう「経済のことをかんがみて、過去は暴くことはしない」的な論調はいかがなものか、と。もちろんそういう側面もあるんだろうけどさ。

「サイパンで強制労働に苦しんだり」「韓国人労働者1000人も労役に動員された」… ポカーン。サイパン陥落は1944年7月。国民徴用令が朝鮮人にも適用されたのが1944年9月なんですがね。要するに「不法な人狩りがあった」と主張したいのだろうか?

「自分の責任に対しては口を閉ざしたまま」か… 今上天皇の「責任」とは? 当時何歳だったと思っているのだろう? 韓国では「親が責任を果たさないまま亡くなったら、その責任を子が相続する」という考えなのかな?

とまぁ、突っ込みどころの多い東亜日報の事前記事ですが、韓国人の慰霊塔ご訪問が明らかになった後の記事はこちらです。ジャン(なっち博士風に)!

第2次世界大戦の戦没者を追慕するため、サイパンを訪問中の明仁天皇陛下が28日、当初の日程には含まれていなかった韓国人の慰霊塔を突然訪問した。朝日新聞によると同午前、天皇陛下ご夫妻は、日本人戦没者の慰霊日程を終えた後、車に乗って宿所のホテルへ向かう途中「太平洋韓国人慰霊平和塔」と、沖縄出身犠牲者のための「沖縄の搭」に立ち寄り、追慕の意を示した。

これに先んじ、サイパン在住韓国人の代表たちは27日に記者会見し、天皇陛下に、韓国人犠牲者にも追慕の意を表明することを求めた。宮内庁は、28日「二つの搭に対する慰霊訪問は前日に最終確定された」とし「当初、訪問を検討したが、事前に公開すれば状況が複雑化するのを懸念した」と説明した。

キム・スンベク(44)サイパン在住韓国人会長は、28日、東亜(トンア)日報との電話通話で「天皇陛下が韓国人慰霊塔を訪問する直前に、サイパンの日本領事館から訪問するとの事実を通知された」とし、「天皇陛下の決定が非常に電撃的なもので、領事館側はもちろん、当地に集まった日本人記者も『非常に驚いた』との反応を見せた」と伝えた。

天皇陛下は、韓国人の慰霊塔の前で4分ほど立ち止まり、献花や特別な追悼のあいさつなしに、簡単な黙念だけをし、周辺を見回ったものとされる。28日付の日本の夕刊各紙は、天皇陛下ご夫妻のサイパン慰霊塔への訪問を、写真とともに報じたが、韓国人慰霊塔を訪問したことについては、これといった意味を与えなかった。

朝日新聞は、地元の住民たちの反応について「戦争当時に支払わされた犠牲の痛みが、依然治癒されておらず、日本についての思いが複雑」だと伝えた。太平洋戦争犠牲者遺族会のヤン・スンイム会長は「天皇陛下がどんな姿勢で平和塔を訪問したのか分からない」とし、「心からしょく罪するならば(平和の塔の訪問を乗り越えて)、韓国人戦争犠牲者の問題を解決しなければならないだろう」と話した。

はい「日王」表記から「天皇陛下」表記にジャンプアップしました(笑)。おそらく保守系bloggerからは「韓国人の慰霊塔を訪問されたとたんに表記を変えやがって」と槍玉に挙げられるでしょうが、実際はもっと単純な話で、翻訳した人が違ったんでしょう。「日本では天皇と表記される」という知識を持った人が翻訳したからこうなった、と。表記の統一というのは、日本ならどこの新聞社でもやっていることですし、韓国紙もそうだと思うんですが、Web版(しかも日本語翻訳版)までは手が回らないんでしょうな… こういう「抜けているところ」がいかにも韓国っぽくて素敵(笑)。まず間違いなくWeb版の編集責任者は「日王」と「天皇」と「天皇陛下」の違いを理解していませんね(笑)。まぁ日本の新聞記者も欧州の「皇帝」と「王」と「公」と「候」の違いを理解していないでしょうし、所詮新聞記者なんてそういうもんなんでしょう(爆笑)。

しかしまぁこの記事の見出し「天皇「4分だけこっそり追慕」」って… そりゃあ、十秒で終わらせて「追慕しました」なんてのは「カラスの行水じゃないんだから」と非難されようが、アレだけの広さしかない場所で何十分も追慕できませんって。韓国の文化ではこういう場合、時間が長ければ長いほどいいんですかね?

あとはとにかく最後の段落ですな。東亜の提携先の朝日の配信を引用しているようだが、翻訳者のミスでなければ、「朝日の記者が現地人にインタビューして、感じたこと」であり、実際に現地人が「犠牲の痛みが治癒されていない」とか「日本についての思いが複雑」と語ったわけではなさそう。朝日がよくやる「記者の思い込みを、事実のように書く」という手法に似ているが、どうも「日本語→朝鮮語→日本語」の過程で韓国特有の過剰表現が混じっているようですな。日本人は騙されてはいけない(笑)。まぁ東亜の編集者も騙すつもりはないはずだけど(爆笑)。

「心からしょく罪するならば(平和の塔の訪問を乗り越えて)、韓国人戦争犠牲者の問題を解決しなければならないだろう」って、またかよ。まず「韓国人戦争犠牲者」というのはどういった類の人なのかを示せ。それと、問題を解決するにはどういう具体的手法があるのかを示せ。もし、補償問題なのであれば、まずは貴兄たちが日韓基本条約の破棄を貴国政府に要求せよ。話はそれからだ。我が国としては、当然、同条約の付随協約である「在日韓国人の法的地位協定」も考え直さなくてはいけないのだがね。政府に働きかけることすらできないのであれば、貴兄たちは貴国ネチズン以下。我が国のblogger並み(笑)。以上。


最後になりましたが、いつも参照させていただいている、ぼやきくっくりさんが簡潔にまとめてくださっていますので、ご覧になってください。

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2005.06.15

古賀誠と遺族会とマスコミ

【主張】靖国参拝問題 何だったのか遺族会見解(産経社説)

小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関して、日本遺族会が十一日まとめた「近隣諸国への配慮が必要」とする見解を一体どう受け取ればよいのだろう。

遺族会の総意なのか、それとも会長を務める自民党の古賀誠元幹事長の個人的な考えなのか。このままでは、この見解が世界を駆け巡り、首相に靖国参拝をさせないという国際的圧力に転化しかねない。

見解は、「首相参拝は遺族会の悲願」としたうえで、「英霊が静かに休まることが大事だ。近隣諸国に配慮し、理解してもらうことが必要だ」としている。同時に、靖国神社に合祀(ごうし)されている「A級戦犯」分祀(ぶんし)に「政治は介入すべきでない」とし、靖国神社に代わる追悼施設の建設には引き続き反対する-を打ち出している。

これでは何を言おうとしているのか、さっぱりわからない。

古賀氏は二日の派閥総会で「立場のある人の発言には近隣諸国への気配り、思いやりが必要だ」と述べ、遺族会でもこの自説を繰り返した。

これは首相に参拝断念を求めたと受け取られるが、こうした趣旨の発言は「総理・閣僚の靖国神社参拝の継続定着の推進」を訴える遺族会の平成十七年度活動方針、事業計画と大きくかけ離れていよう。これに対し、古賀氏側は「発言は個人的な考え」と釈明し、遺族会も十四日になって「会の正式見解ではない」とした。だが、すでに遺族会見解として独り歩きしている。

十三日付英紙「フィナンシャル・タイムズ」(アジア版)は一面で「遺族会は小泉首相参拝に反対」を載せ、中国紙も「最も強固な首相の靖国神社参拝支持層が動揺し始めている」(環球時報)としている。国内の分断を喜んでいるのはどこの国であろうか。

小泉首相は十三日、遺族会の見解に対し、「どのように戦没者を追悼するかは日本人自身が考えることだ。人から言われたから参拝しているのではない」と述べた。妥当な発言である。

インドネシアのユドヨノ大統領は今月初めに来日した際、「国のために戦った兵士に参拝するのは当然のことだ」と語っている。これが世界の常識だろう。「近隣諸国への配慮」とはなにかを含め、古賀氏はさらに説明責任を果たしてほしい。

えぇ~っ! 古賀の発言って個人的見解だったの? マスコミが「(遺族会会長である)古賀誠がこう語った」という事実を括弧書きのところを前面に押し出したのか、あるいは古賀誠が遺族会会長と言う立場を利用して、さも遺族会の総意であるように発言したのか。

どっちもだろうな(笑)。

従来はテレビや新聞のニュースを一方的に受ける「受動的立場の人」と、疑問に思ったことを調べてみる「能動的な人」がいて、前者がはるかに多かった。しかし今や、自分であれこれ調べることは面倒だが、ネットで能動的な人の意見を見比べる「半能動的な人」の人口が多くなったから、マスコミや政治家は大変だな。私は「あれ? 遺族会は転向したのかな?」と思っていたのだが、2ちゃんに遺族会に電凸した勇士が現れて、「遺族会は『総意じゃない』って応えてくれたよ」と。以前なら、電凸した本人しか知り得ないことだったのが、広がりをもった。

もちろん手放しで喜べるわけもなく、釣り士か否かを見極める眼力も必要になってこよう。関東大震災のときの「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」みたいな釣りに引っかかってはいけない。

話を戻す。古賀誠は英霊をも貶めるまさに国賊ではあるが、それでもなお、古賀に会長辞任を促さない遺族会にも疑問は残る。遺族会にも古賀に寄生せざるを得ない「何か」があるはずだ。当然、遺族会の中に政治的駆け引き抜きにして古賀に同調している方もいらっしゃるだろうしね。「中国人の総意」や「韓国人の総意」なんてものがないのと同様に、「遺族会の総意」なんてものもなく、中は結構グログロした人間関係があるんだろうな、ってことだ。

まぁ立場を利用して発言したあげく、遺族会からクレームがつくや「個人的な発言」と訂正した古賀誠という議員は一欠けらも信用おけない人物だということだけはわかった。奴がコミッショナーをしている新日本プロレスに金を落とすことはしばらくすまい。

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