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2006.04.27

真の姿

8人を送検 耐震強度偽装事件

耐震強度偽装事件で、警視庁などの合同捜査本部は27日、建築士法違反ほう助容疑で元一級建築士、姉歯秀次容疑者(48)、建設業法違反容疑で木村建設社長の木村盛好容疑者(74)ら、電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑でイーホームズ社長、藤田東吾容疑者(44)らの計8人を送検した。

【2006/04/27 大阪夕刊から】

(04/27 16:11)

この記事中の写真がSankeiWebトップページに載っていた時間帯がありましてね… その時のキャプションが以下のようなものだったんですわ。

偽装について“真の姿”を見せつつある姉歯秀次容疑者

いいのか? 俺はいいけど(^^;…

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2006.04.07

日経の社説が気持ち悪い件

社説1 小学校英語教育を前向きに考えよう(4/7)

小学校で英語を必修科目にすべきかどうか議論が活発になってきた。文部科学相の諮問機関である中央教育審議会の外国語専門部会は先月末、必修化に賛成する報告をまとめた。日本が国際化時代を生き抜いていくために英語教育の充実は避けて通れない。小学校での必修化を前向きに考えるべきである。

小学校の英語教育はすでに約9割の学校で実施されている。平均月1―2回、総合学習の時間などを使い英語で歌ったりゲームをしたり、簡単なあいさつを教えている。専門部会はこれを小学校高学年で週1回程度に授業数を増やし、必修にするよう提言した。

戦後の英語教育は大失敗に終わった。長い間習っても大多数の人には使い物にならないというのが悲しい現状だ。その反省に立てば小学校から英語に親しむ環境を整えることは一つの選択肢となる。

だが、必修化にあたっては様々な課題がある。

第一は国語力との関係である。国際的にも日本の子供たちの国語の読解力の落ち込みが明らかになっている時に英語を持ち込めば、ますます国語力が落ち、思考能力そのものも弱まるとの懸念がある。

確かに国語力の低下は問題である。しかし、英語と国語を対立する概念でとらえる必要はない。専門部会報告が指摘するように、英語教育を広い意味でのコミュニケーション能力を高める教育の一環として位置づけ、国語教育と英語教育を結び付ける工夫は可能だろう。

それに週1時間程度の授業で国語力に支障が出るとも思えない。

教える人材の確保も大きな課題である。英語の音に慣れさせるためには外国人による授業が望ましい。それによって外国人から直接その国の文化や地理について勉強するなど様々な付随効果も期待できよう。

だが全授業を外国人が担当する必要はない。全国約2万3000の小学校に外国人を確保するには膨大な費用がかかる。限られた予算の中でも地域の住民のボランティアの活用など工夫の余地はある。インターネット、ビデオ、CDなどの教材を活用する道もある。

小学校で必修化する場合、成績をつける課目にするかどうかという問題がある。小学校から英語嫌いを増やさないためにも成績をつけない教育でよいだろう。

英語教育の改善は小学校での必修化で終わる話ではない。使える英語をめざし、中学校、高校での見直しも進めなければならない。

気持ちの悪い文章だね(笑)。

戦後の英語教育は大失敗らしいが、どこがどう大失敗なのかがよくわからない。文脈から察するに、ネイティブスピーカーと会話できれば成功のようだが… そうなの? 個人的には英語で論文を読んだり書いたりできる人材ができるだけ多く育っていれば、成功と考えていいと思うんだけどね。どれだけ会話で議論できようと、政治でもビジネスでも最終的には文書を取り交わすわけなんだから、そこを重視するのは決して悪いことじゃないと思うんだけど。

「庶民がマスターしたいのは、海外旅行に行ったときに必要になる、ちょっとした会話力だよ」という市井の意見はわかるが、そんなものは駅前留学すればすむ話だよ。どうして学校教育でてめぇらの海外旅行のサポートをしないといけないんだよ、ってことだ。そもそもそんなことを言ってしまっては、微分積分も、力学も、地質学も、古文も、遺伝学も、歴史も学校で教えるには不適格だ。

そもそも国語に対して「日本語は話せればいいんだ。学校教育では会話を中心に教え、文章読解や作文などは必要ない」なんて主張する輩はいるまい。母語は家庭でも会話を教えることができるが、英会話はそうもいかないから学校でやって欲しいというのはお門違いなんじゃないか?

私が以前勤務していた会社の社長は、大学を中退して英国に放蕩旅行に出かけ長期滞在し、現地の人と結婚して、2年くらいで離婚して… という、結構凄い青年期を歩んできた人だったんだけど、さすがに英会話はまったく不自由していなくて、身振り手振りのできない電話でもまったく問題なし。正直な話、発音は我々とそんなに変わらないくらい。でも言葉がポンポンと出てくる。しかも日常会話じゃなくて、ビジネスの話を。それくらい英会話に堪能な方だったのに、いざビジネスレターということになると弱くて、たいして英語の得意じゃない私に単語のスペルや、構文のチェックを頼みにくることがしばしば。それがまた、時制がおかしかったり、中学校で習うような単語のスペルミスがあったりで、なかなか興味深いものだったことを覚えている。それくらい、会話と読み書きというものは違うということだ。

だから「(例えば他国と比べて)喋れる人間が少ないから、戦後の英語教育は間違っていた」というのはおかしい。「(例えば他国と比べて)論文を書けるくらいの英語力を持った人間が少ないから、戦後の英語教育は間違っていた」というのならば、ちょっとは説得力を持つ。この社説から感じ取れるのは前者だから、ちょっと気持ち悪いw

日本の学校での英語教育は中学校からはじまる。ある研究では、母語を確定するタイミングというのは12歳くらいなんだそうだ。だから多くの日本人は、母語として日本語が脳にインプットされてから英語を学ぶので、ネイティブユーザーはまず意識しないであろう文法を中心に、暗唱、読解、作文をやらされる。ある意味、理にかなっているそうだ。それを今度は小学校から必修にしようということだから、母語として日本語がインプットされるか否かのタイミングで学ぶことになる。だから文法中心ではなく、ネイティブスピーカーの発音を耳にして、オーラル中心に学ぶという方針も、理にかなっているわけだ。

ただし問題は、母語が日本語と確定していないタイミングで、週に1回とはいえ、英語を学ばせてもいいのか、ということにあるんだそうだ。英語教育に決して明るくないであろう社説子が「週1時間程度の授業で国語力に支障が出るとも思えない」と簡単に推測していいものかどうか。


「こういう研究があり、対立するこういう研究もある。当欄では前者に賛同するものである」くらいのことを社説ではやってもらいたいものだが、どこの新聞もそんな社説は載ってないね。「俺は社説子だ。お前らはみんな頭悪いんだから、俺の意見を聞きやがれ」みたいな文章ばかり。うんざり。

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